ほしといしと占いのみかみまきのサイト

あおいとりプロジェクト

ミュシャとラリック展(箱根1)

2015年09月5日|museum, Trip, やまねこクロニクル

箱根のラリック美術館で、
ミュシャとラリック展がやっているぞという内容の番組を偶然見て、
虎視眈々と、行く日を狙っていたこの展示。
車担当者がavailableな日を狙って、展示を見てきました。

 

ラリックの美術館はこの他に、角館に大村美術館があります。
熱海のサンクリノ美術館は閉館してしまいましたが、
エミール・ガレと並行してラリックの作品やドーム兄弟もありました。
諏訪市の北澤美術館は「エミール・ガレに代表される
フランス・アール・ヌーヴォー期のガラス工芸700点」があるとか。
ミュシャはもともと大量に刷られるポスターなので、いまだに販売されていますが
美術館としては堺市のアルフォンソミュシャ館があるようです。
今は「ミュシャと世紀末の幻想」という面白い展示をやっていますよ。

 

今回は、箱根のラリック美術館
【ミュシャとラリック展】
IMG_6188IMG_6187
※この右の写真の真ん中のアザミのブローチが本当に美しかった!
|開催期間|
2015年04月25日(土)~2015年12月13日(日)
今回のこの展示、美術館10周年記念。
同じ年に生まれたこの二人、意外と接点がありましたー
という、展示です。
作品を拝見するのももちろんすてきなのですが、
この歴史とか作品作りへの姿勢、
何が制作の機動力なのか、何を美としているのか。
この二人の相違点がよくわかる展示となっている気がします。
(それには、美術館ツアー11時からに参加をお勧め)

 

物質的としての美しさに対する感性と、
人としての生き方の美しさ感性は、
似ているようで両立しないような、対極にある感性に思えてきましたね。

 

どっちも美しく正しいような。
そして、両方を兼ね備えようとすると、相殺されて台無しになるような。
美というのはある意味偏りなのかもしれませんね。振り切れているというか。

 

このアールヌーボーの名手の二人、
結びつけて考えたことなかったので、斬新。
サラ・ベルナール(1844年10月22日生まれ)という時代に愛された女優が
はぐくんだ、芸術たちという背景も興味深いです。
(何か大きなお金が動かないと芸術って育たないですからね。)
目玉はラリックとミュシャの共同制作といわれる『ユリの冠』
そんなものあったのか!と驚きましたが、
実は、世界も知らなかったようですというのが番組の内容でした。
「実在したのか!」みたいなコメント出てました、笑。

 

いざ、ラリック美術館へ。
IMG_6168

チケットもかわいい!それぞれ違います。
関係ないけどOPカード見せると割引になりました(ポイントはつきません、笑)
あとローソンで前売りを買うと1200円になるのは知っていましたが
めんどくさくて・・・笑。あと、サイトにクーポンがあり100円引きになります。

庭から続く、廊下を歩いていくと、森があり、ずっと奥にあります。
IMG_6169IMG_6170

予想外に本格的な美術館。素敵、雰囲気素敵。

IMG_6171
ご飯を食べて中に入ったら11時ちょっとすぎで、
1日1度の案内ツアーがちょうど始まったところだったので
参加したのですが、これがとてもよかった。
ラリックとミュシャの違いとか、そういうのを教えてもらえて
へええ、なるほどという感じで。

 

ラリックは宝飾職人として活躍していた割に、
日本ではあまりまとまった展示を見かけません。
大量生産されて多くの人に親しまれる美しさをというガラスに
転向した後の作品は量が多いのでよく見かけていました。
ラリックというと乳白色のオパールのようなガラスが印象的でしたが、
今回はアクセサリーたちは、ガラス以上に好みでかなり目がキラキラしました。

 

わたしはラリックの影響で
トンボやチョウのモチーフが好きといっても過言ではないと思います。
小さい頃の好きというのは忍び寄るようにいつの間にか好きで不思議。

 

今回の展示にあったアクセサリーはいろんな石が使われていて、
その石に価値があるか人気があるかというよりは、
よりラリックが思い描いた色に近いか?で選ばれているとか。

 

例えばオリーブの実を模したアクセサリーはグリーンオパールを使用。
理由は本物のオリーブにより色が近いため。
オパールはモース硬度がかなり低いのでかけやすく、傷がつきやすい。
遊色効果のないオパールはあまり使われていないのが定番でしたが、
ラリックはそういうことにとらわれていません。
そのほかにムーンストーンや、アメシスト、ターコイズなども多用されていました。
あと、バロックパール(このバロックオパールは大きいほど珍しく高級品)も
そそここにたくさん使われていました。
遊色効果あるオパールも色が好きなのかとてもよく使われてます。
(図録には「ラリックはオパールに宿命的な魅力を感じていた」とあり、笑)
ラリックにかかわらず、こういういろいろな石を使われ始めたのは、
ティファニー経由で世界の石を紹介したクンツ博士の影響かと。
(前それについてブログ書きました⇒
今回は、ミュシャの描いた油絵(印刷ではない一点モノ!)を見て
ため息が出ました。リンゴを持ったスラブの伝統衣装を着た女性。
気迫や伝えたい気持ちのある絵はすごいと思います。
印刷にはないきらきら感を感じましたね。芸術にはやはり信念って大事。
みんなそれぞれファンタジーがあって、信じている美の形がある。
それを美しいと思うかはまあ人それぞれなのだと思いますが、
時々魂を持ってかれそうなぐらい吸い込まれることあります。
図録はその感覚を思い出すツールでしかなく、本物にはかなわないと
わたしは思っていますね。だから、遠くても見に行ったりする。
ある種のアーキタイプ的行動であるようにも思います。共鳴のような。
ミュシャも、ラリックもこれからアクセサリー作りの
参考にしようと、鼻息荒く図録も買いました。
IMG_6189
これまでは図録は作品の写真を見るためだけに買っていたのですが、
前回金山康喜のブログを書いたときに間違いを指摘されて、
そっか、図録にその人の情報がたくさん書いてあるんだこれは興味深い資料じゃないか!
と、気が付きました。
美術品を眺めるのが好きになったのは本当に小さい頃なので、
モノ自体にしか興味がなく、作った人には興味を向けませんでした、今まで。
でも、占星術を学び始めてから、作った人がいるから作られるわけでもないなと
知って、チャートとその人の歴史を見比べることがすごく勉強になることに
気が付いたのです、ということで、資料としては高いけど、
愛する作品を作った人を知ることによって、
興味深くより親しみを込めて作品を眺められるというものです。

 

ということで、すごく私の偏見チョイスの彼らの略歴をちょっと紹介します。

★ルネ・ラリック:1860年4月6日 – 1945年5月1日
フランス シャンパーニュ地方アイ村生まれ
「自然集配車として、幻視者として、
夢のように果てしなく、美のようにと、芸術を構想した」

~図録p40より引用~
Lalique
ラリックは商人の息子として生まれています
お父さんがなくなって、急きょ、16歳で宝飾職人のところに弟子入り。
中学までにデッサンは取得して(中学は職業訓練校)
お父さんが亡くなったので、工房で働きつつ、独学で学び、
美術の学校はあまり行ってないです。22歳で独立。その後も、
あちこちと組みながらじりじりと着実に腕を上げていきます。
フラフラとしないで積み上げていく感じ、じっくり観察する感じは
もしかしたら、月はサソリかもしれません。
小さい頃に親しんだ母の出身地のシャンパーニュ地方アイ村でみた
自然の美しさが、全体的なモチーフの軸になっているようです。花とか虫とか。
わたしはこの花や虫のモチーフ大好きです。
あと乳白色のようなオパールカラーというのでしょうか。色が美しい。
冥王星牡牛で山羊火星とトライン。金星も牡牛(双子天王星に合)
思い通りに加工できるものが好きで、自分の中にすでに美がある感じですね。
より美しくするためにいろいろな技術を試すという感じでも。
美しいものを作り出す情熱、そしてそれが商売や人に認められることが大事のような。

ラリックの面白いところは、派手な一点モノの宝飾が売れなくなると、
きっぱり見切りをつけて、量産できるガラスへ目を向けていくのですが、
それが、1912年くらいで、52歳。
ラリックってガラスで有名だと思っていたので。

宝飾品のほうがメインで売れないから
より多くの人に美しいものを楽しんでもらえる
ガラスへ転向したというのが興味深いです。

彼の作品を見ていただければお分かりの通り、
想像の中のこうしたら美しいが具現化され創造されている
ラリックの装飾品。貧富の差があるからこそ、可能な芸術品。

 

対して、

★アルフォンソ・ミュシャ 1860年7月24日 – 1939年7月14日
チェコ共和国(当時オーストリア領)南モラヴィアのイヴァンチツェ生まれ
mucha

ミュシャはチェコで不安定な情勢で虐げられた
スラブ民族として生まれました。お父さんは裁判書記。

11歳のころ聖歌隊に入り、そこ経由で学校に入り、
変声期になり学校を辞めざるを得ない感じに。
それからあちこちに出入りしていろんな仕事を請け負い、
肖像画や美術品修復、貴族の家を転々として、ついにパトロンを得て、
美術学校に入学、しっかりアカデミックな教育を受けている感じ。

月が射手座オポジションで天王星なので、フラフラしてあちこちで学ぶというのが
なんというか、らしい気がしますね。そして、思想的にしっかりしていること、
晩年には、祖国に貢献しようと無料で切手やお札、
いろんなデザインを請け負ったりしていること。

若いときは、お金に困って、やりたいことがやれず、
仕方なく挿絵を書いたり、ポスターを描いたりしています。
驚きなのは、あんなに評価されていたのにもかかわらず、
実はあまりやりたいことではないということ。
自分の名声を「こんなことではいかん」的に、方向転換したりしていますし。
お金のために仕方なくというのが、冥王星牡牛と太陽のスクエアという気もしますね。

とにかく、今回の展示の主役のサラ・ベルナールという人のポスターの仕事が
挿絵を描いている出版社経由で依頼が来なかったら(有名なジスモンダですね)、
あんなに売れっ子にならなかったかもしれないくらい、
ずっと、食うために働いていました。

Wikipediaでは
「1895年にサラは、当時無名の挿絵画家だったアルフォンス・ミュシャにポスター製作を依頼した。年の瀬で主だった画家がクリスマス休暇をとっていたため、急遽ミュシャに白羽の矢が立ったという。ミュシャがこのとき作ったポスター「ジスモンダ」はパリ中で脚光を浴び、ミュシャがアール・ヌーヴォーの象徴として活躍するきっかけとなった」

と書いてありましたね。こういう運命のいたずらというのはウキウキしますね。
これ以降6年間専属契約をミュシャとサラはして、
ポスターはあるたびに盗まれるくらい人気があったそうです。

 

そしてミュシャの夢は祖国の独立に貢献し、虐げれている文化を復興させること。
パリで活躍しながら、スラブ民族のことは忘れていず、
一途に一生を捧げていきます。。
高み、理想に向かってまい進する姿は獅子と射手のコンビネーション、
使命を見つけたらまっしぐら、固定宮っぽいですね。

スラヴ叙事詩を描くときに、
その地方に赴き10日くらい滞在し、
その歴史を年配にきいてまわったりしながら
かなり勉強してから作品に取り掛かったとか。

 

この二人は同じような仕事をしていながら、
余り関わりがあったようなことはなかったというのが驚きです。
仕事をすること、自分の信念は自分の中で形成され
シェアするという感じではなかったのかも。
お互い火のサインが強いので、親しく文通するという性分がないのかもしれません。
もしくは、タイミングが合わなかったのか。
あまり反目するようには見えませんし(私が見た限りでは)
黙々と美しいものを生産していく職人的ラリックと、
芸術を通して思想を広げたいミュシャというように見えました。

二人とも自分が育った祖国への愛を作品として形にしていること、

ロマン主義(自然崇拝者であり、幻視者)
芸術を通して人々を幸せにしたいというのは同じだったようですね。
(資料によると)

 

いろいろと長々と書いてあれですが、
二人の芸術は、私は大ファンなので、鑑賞して堪能してきました。
本当に花とか虫のモチーフは美しいです。
わたしはあまり人間題材は好きではないので
ミュシャは主に色合いと、装飾品のデザインが好きですね。
ロマン主義の作品、本当にイデア的な美と自然的な美が美しく調和して
素晴らしいと改めて、主観を込めて思いました。


Profile

みかみまきプロフィール写真
みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

noteつかってます