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あおいとりプロジェクト

ICとアンカリング

2015年06月15日|astrology, やまねこクロニクル

関東地方、梅雨入りしまして、
毎日小寒いと蒸し暑いを行き来していますね。
IMG_5225
近所に咲いていたアジサイ。
本当はもっと青っぽかったです。カメラの性能がちょっとアレでした。

***

最近、放送大学で菊池聡さんの「錯覚の科学」という番組を見ています。
といっても、途中から偶然見かけて見始めたので、再放送やらないかなーと思っているくらい。

なかなか面白い番組です。

 

実はこの番組を見る前に
前にこれを読んでとても興味を惹かれて、
へえ面白いなあと思ったのです。

この先生は超常現象を否定していません。
否定していませんが、錯覚の可能性と本当の可能性があると
結論を出さない考え方をしています。

 

で、放送大学のその番組で
ヒューリスティックアンカリング(英: Anchoring)
というのが紹介されており、そこを興味深く拝聴。

どんな内容かというと、
人は決断においてある程度自分の判断のために
基準地点を決めてから(アンカリング)、
思考過程を簡略化して、即座に判断(ヒューリスティック)している。
このヒューリスティック、
情報が少なくても予測で埋めるので回答に至るまでの時間が短いが、
精度はおちるという技法、思考法ですね。
毎日即座に判断しなくてはならないことが多いので
日常的に私たちこれを使っています。。

大体こんなもんでしょ、ってやつかな。目星を付けるとか。

 

これを見ていて、
これって、間違ったところにアンカリングすると
とんでもない答えだしてくるなーと思いました。
普段の思考パターンが出来上がっちゃっている人は、
悪く出ると、よく考えず早合点のもとですね。

実際、アシスタントとして入っているアナウンサーの的外れ的な回答に、
こういうお客さんいるなーと懐かしく思いました、
台本でしょうけど(あれが素だったらちと怖い)
(ちなみに岩田 まこ都(1973年11月24日 – )さんという人。
たぶん話に乗ってあげている、
台本や先生の思惑を大事にしていると思われ)

 

アンカリングが固定パターン化していると、
新規情報をあまり受け付けないので、
何かを判断するとき、話を聞いていず、いつものパターンだと思い込み、
アンカリングを別世界にぶっさして、答えが異次元になるイメージあります。
思い込み激しいので修正ができない。論点の連れや違和感がわからない。
(私の偏見なアンカリングですが「おかん」なイメージ)

 

なので、アンカリングを修正する情報を与え続けなくてはならないけど、
たいてい、興味がないから修正できない。
妖怪カワイソババアも、よく見ずにアンカリングして
そく「かわいそう」判断を繰り出してくるのだろうなあと思いました。
悪気がないけど理解に対して無関心の時、
相手がどう思うかを考えずに、ルーチン発言してしまう罠かなと。

 

そうやって、バイアスや偏見って生まれるのだなあと。
ハンナ・アーレントとかも指摘していますけど、
何かひどいことが起こるときは自分と関係ないと思っている人が
(たとえば自分は対象者ではないとか)
反対しない(賛成に回ることになる)ことで、決行されてしまったりする。
無関心さが、事実を見る好奇心を、もしくは労力を惜しむわけですね。
ハイデガーも自分が大衆に迎合しているときは本質性を欠いている
欠性態と言っています。

 

なんか話が通じ合えないな?と思ったときは
きっとのその人の意志や本来性がお留守で、心ここにあらずとか
情報が足りない状態で判断がしようがなくとか、
たぶんその話をしている他人と、違うところにアンカリングして
予測しているのだろうと思います。

自分の、経験則から出られないタイプは
それを理解することに対して
自分の利益を感じないと無理なんじゃないかなと。

(この場合の利益はエレメントごとに違いがあると思います。
風サインタイプは好奇心と「バリエーションがほしい」が
後押しして「知りたい!」につながりますかね。
この情報のバリエがこのエレメントを「客観的」とする所以だと思いますね。
水は共感、親しみが感じられないととっかかりを持てないし、
土は特に利益・役立つなどがないと動けない。
火は悔しい、勝ちたいとか闘争本能でしょうか。)

 

ウィリアムジェームスの「プラグマティズム」思い出します。
″我々の思考全ての根にある理解できる真実ははっきりしていても微妙であり、
それらのどれも優れたものではないので実際に可能な差異以外の何物にも依存しない。
ある対象に関して我々の思考に完全な明晰さを得るには、
その対象が持っている実用的な種類の認識できる効果をのみ考える必要がある。
つまりそれからどのような感覚を期待し、どのような反応を用意しなければならないかである。”

 

結局、偏見はどこから来るかっていうと、
「普通~でしょ」「~って常識」という枠が
形成するものでもありますし、
想定しやすいアンカリングから、
その現象が遠いと理解可能圏外ってことなんだろうと思うのです。
想定範囲外、守備範囲外。理解できないから悪もしくは無関係、無関心。

 

アンカリングの練習を繰り返し行っているのは、
往々にして生育環境と初等教育と深く関係しているのだろうと思います。

このアンカリングの個体差って(正確さとか、傾向とか)、
占星術のハウスシステムでつかわれてる
IC(ImumCoeli イームンコエリ)とリンクしている気がしています。
幼少期に培った方法、常識。バイアス。

遠隔透視のマクモニーグルさんや
リトリートのモーエンさんとかも
良く言及していますが、
小さい頃自分の意思がまだ発達していない時期の
家庭環境や初等教育の影響から抜けた思考というのは
本当に難しいとしています。
家庭環境(=4ハウス、月)、初等教育(=3ハウス、水星)
の、自動操縦的にそっちに考え方が寄ってしまうことから
(意識して注意深く考えないと、反射的に考えてしまう癖)
解放されるというのが客観性には大事なものですが、
なかなか普通に生きているとできないもの。

 

生育環境と初等教育、占星術による3,4ハウス。
水星と月、ICです。ICはアンカリングの基礎。
その基礎を揺るがすって本当に骨の折れることです。
相当な衝撃がない限り、修正したりしない。


このたまごにいちゃんを思い出します。

人間年を取ると、自己防衛のために、見えない聞かない聞こえないふりをします。
社会を構成している土星年齢域の人が、社会の屋台骨を作っていますが
同時に、他人を閉じ込めてもいると思うのですねえ。
(自分のルールや常識を守るために例外を許さないとか)
社会構造上、仕方ないことです。

 

私が今勉強しているハイデガー「存在と時間」の中に
日常の繰り返しを「頽落」という表現がありますが、
この状態を本来性が欠落した状態「欠性態」としています。
居心地のいい中に安住するのが頽落。
その居心地の良さから不安が派生して、我に返る。
そして本来性とのつながりは不安という橋を渡ってたどり着く。
不安という揺らぎが導きとなるといわれていて、
ICの設定を塗り替える(範囲を広げる)のに、関係あるんじゃないかと。
最初のIC設定は養育環境から仮で身に着けているので
本来の自分が何であろうと関係なく、そうせざるを得ないICですから。
本来性とちょっと離れていても、
おかしくはないのではないだろうか?と思います。

ちょっとずつちょっとずつ、自分の想定パターンをマンネリ化せず、
幅広い世界にたくさんある可能性がぶちかましていくもろもろを反映しながら、
それに対して自分はどう思っているか、感じ取っていく過程が大事なのではと。

 

機械のように日常にいつもいつも同じ生活をしていると
想像力をあまり使う機会がなく、さび付いてしまうのかもと。
小さいときに本を大量に読むといいというのは
心の中に、現実の世界と創造の世界という二つを持つことはとても大事で
適応能力のある人間になると聞きました。
そういうのも、アンカリングする際の基本情報に想像力という幅をあたえるのが
大事なんじゃないかなと思いますね。
知識の広さ、いろんな凡例において、想像できる力があれば、広い範囲の真ん中を
ヒューリスティックの現実との適合性が上がり、
回答の正解率が上がると思うのです、

 

本来性に戻ることの価値というのはどういうところにあるかというのは、
自分の決断を人にゆだねないということと同義語なんじゃないかと。

毎日の繰り返しをなんとなく何も考えずに繰り返すことに依存、停滞している(頽落)は
本来の自分の考える力、自分の価値をもって決断する力を弱めるのだなあと
最近は思い始めています。

それに対して拒否感がなければ頽落は悪ではないと思います。
頽落している時間(日常に、社会に合わせている自分)と、
本来性(自分自身を中心に据えている状態)を追求している時間と
二つあわせもつのが人間だと、ハイデガーも言っていますしね。
行きつ戻りつしながら、ちょっとずつ、
本来性を磨いていればいいかなと私自身は思っています。


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みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

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