ほしといしと占いのみかみまきのサイト

あおいとりプロジェクト

イメージの力を借りる(お店日記転載)

2018年11月26日|astrology, memo, やまねこクロニクル

次回ウラナイトナカイは12月3日月曜日
11:00~21:00 みかみまき 通常鑑定
※詳しいメニューはこちらをどうぞ⇒

※当日に気が向いてふらりとお越しいただくの大歓迎です。
※お申込み:お待たせしたりするのは申し訳ないので、お電話でご連絡いただくか、メールにてcaribou.lynxhare@@gmail.com (@を1つ抜いてご連絡ください) ご連絡いただければ幸いです。

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※12月7日金曜日(満席)/1月13日日曜日(残5) 10:00~13:00
「占星術チャートとシナストリーなどを読む講座 」⇒

※1月4日「占い福袋2019」⇒くわしくはこちら

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※これ関係ないけど、とても気に入ったので忘れないために唐突にメモ的貼っておく。

占星術をつかってお話を伺う際に、私が一番大切にしているのがチャートが語りかけてくるイメージを物語にすることです。そして、私の思い込みで読んでいるチャートをご本人のお話を聞いて、修正しまた物語を紡ぐ…物語の流れを見ながら話を進めていくというのも大事にしています。骨子は占星術でありながらそこから芽吹く肉付けはご本人の経験してきたものといったらいいのでしょうか。

占星術の鑑定というもので一番大事だとわたしが思っていることは、ご本人がご自身の物語をクリアにイメージできるようなお手伝いをすることじゃないかなと思います。

古今東西の物語や神話の中で、魔法や運命に立ち向かう特別な力のようなものは、己のイメージ力が繰り出す意志力がものをいうという設定を良く見かける気がします。信仰心しかり。ミヒャエル・エンデのはてしないものがたりでは、想像力・イメージ力が国を救うというくだりがありますし、魔法もイメージ力という物語が多いです。エドガー・ケイシーが提案した「アファメーション」もイメージする力を具現化するのを助ける発想といわれていますね。自分がなりたいものからぶれずに、その流れに沿って実行しようとする力、モチベーション。思い込みの力というのは現実の見え方まで変えてしまう、あるいは固定してしまうもの。自分が望んでいるフローに、時々この「思い込み」が邪魔をしたり実力以上の結果をはじき出したりします。

先日見たテレビ番組で貯蓄をうまくする話題がでていて、そこで「地位財」というのが言及されていました。これは自分の見栄を満たす支出みたいな紹介で、それを見ていて「こういうものを無駄としてしまうと、生きていても楽しくないのでそれをどれくらいどうとらえるかの貯蓄と人生の兼ね合い」だよなあとふと。生活に必要最低限のものを「非地位財」と紹介されていました。どんなにお金があっても使わない人は使わないし、使う人は借金をしてまで使う、それを分けるのはこの「地位財」を必要と感じているか、自分のイメージに必要な小道具にどれだけかけているかなのでしょう。

というのも、「自分のイメージを維持したり変えたりすること」が社会を乗りこなしていくのに重要だというのはわたしにも理解できます。「イメージを利用する」という風習は人間の習慣だけではないし、縄文時代には身を飾るっていたであろうことを示唆する遺物が発掘されていたりします。「着飾ること」とは貨幣社会が発生するより古いものです。

洋服や装飾品を身に着けることによってうみ出される「イメージ」。外側からの印象は時に自分自身で生み出す以上の力が付与されます。そういうのを利用したいと思う欲求。そういう消費が地位財とテレビ番組で表現されていたのだろうなと思います。ある人にとっては死活問題というのもうなづけます。

自分の持ち物である程度そのイメージを借りて自分に有利に進めることができる一方、そしてそれが誰かのイメージを邪魔し、イメージダウンもしくは不利益、不快を演出する。苦しめるイメージを持ってしまうこともありますね。相手に勝手なイメージを持たれてひどい目に合う例としては、たかりとかセクハラなどの「ハラスメント」とかでしょうか。

本人はそういうイメージを持ってほしいと思っていない、違うイメージを持って接してくる人をハラスメントというのではないかなと思います。こっちがゴーでもあっちがノーで(そんな格好ハシタナイとか?)、こっちがノーなのに、あっちがゴーみたいな(こんな服着ているなら◎◎はありだよね?と許可なく思い込みを押し付けてくるような、痴漢とか?)。

本来の自分の「実際」という本人の意識と、他人が持つその人のイメージ、それが混ざって個人を形成するのだろうなと思います。

占星術での
1-6ハウスまでが醸し出す自己イメージと、
7-12ハウスが織りなす社会が自分に求めるイメージ
はこの辺をある程度の理解を助けてくれる気がします。

7-12ハウスに惑星の多い人は社会が自分に求めるイメージをわりとイメージしやすいだろうし、自分が他人にどう接したらいいかというのがわかりすぎるかもしれませんね。逆にそれに振り回され自分の求めるイメージ(自分がこうありたいという心地よさとか幸せの形など)から離されてしまいそう。

逆に1-6ハウスにたくさん惑星が集中していると、自分が求めることがわかっていても社会が何を求めているかわからないという感じです。幸せになる条件を知っていても、実行する力がない。貨幣社会に生きていて、一人で存在するには弱すぎる生き物である人間は社会システムにある程度則って生きていく必要があるので「社会の期待に応え(義務)、そのシステムを使う権利を得る」(つまり労働?!)ことが必要になってきますよね。要領よく、社会が求めていることに応えられる才能があれば、仕事を得たりこなしたりすることが可能ということになると思うのですが、自分のやりたいことがわかっていても他人が自分にしてほしいことからは離れやすいのかもと思います。

自分の幸せを実行するために、社会の力(集合している力)を借りるというのが占星術の円で示された1-12ハウスなんだろうなと思います。社会の力を使うという通行券が現代のシステム上、貨幣ということでしょうね。お金をうまく循環させ、社会からもたらされるイメージの力をうまく使うというのが7-12ハウス、そのイメージをどう扱いたいかが1-6ハウスと私はイメージしています

どこかにかたまって惑星があるというのはある意味才能ですが他ががら空き、バランスの良さは個性の希薄さということなのですよねぇ。社会の力を使って生きているという環境の中で生きている自覚と、自分の命は自分のためにあるという根本、これが二つうまくイメージできると幸せを実感できる確率が上がると思うのです。

イメージの力は自分の実を上回り、実以上の何かを付加させる。
しかしそのイメージが自分の思惑どおりとは限らない、その辺の矛盾や思考の落とし穴を意識するには占星術便利だなーとふっと思いました。

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追記:
装飾は自分はこういう人間であると外に知らしめようとする表現であると思う。地位の高い人と思われたければ、高級品で身を固めるというような。所属を表しているし、身の丈を越えている場合それはもはや偽装であるかなと。


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みかみ まき

西洋占星術師&アクセサリーデザイナー、水晶占い師占星術・タロットをまついなつき氏に師事、占星術と水晶透視を松村潔氏に師事しております。詳しいプロフィール

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